死なない世界と死ぬ世界

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死なない世界と死ぬ世界があるという。

それはどうゆうことか、ここからが大切な話となります。
どんな人生を送るとワクワクしながら終わり子孫に喜ばれるよい先祖に成れるか、それと逆にどのような人生を送れば子孫を困らすことになるのか、当人も恐怖の世界に落ちるのか、それは、その方の人生にあると言われております。

私たち人間は、他の動物に持たされていない人間だけが持たされている良心が有ります。その良心の声のままに一生を過ごすと寿命がきて肉体が無くなっても、その人の霊魂は死なない世界に入るのです。
その世界に行くのには、全ての判断を損得ではなく善悪で判断して不利になろうとも善を思い、善を行うと、ワクワクしながら生涯を終わる事となります。そして、次の世に出て行くときは今世より素晴らしいところに、生まれ出ます。
その逆に、損得の世界で判断して徳をとろうとする一生を送ると恐怖の世界で苦しんで死ぬことになり、その苦しみの思いのまま霊界をさまよいます。その世界を幽霊とか悪霊と呼びます。

昔から閻魔帳なるものがあると聞く。閻魔帳は目に見える世界の物ではありません。
だから人生が終わると、それを見せられるそうです。肉体を持っていたときの、すべてが記録されているそうです。言った事、行った事以外に心に思った事までも最大限漏らさず記録されているそうです。
その結果により、その人の魂が死なない天国に行くか、死ぬ地獄に行くが決められているそうです。
この世の人は、全ての人が天国に行っていると思っているが、それは全く違います。生きている時に行いが悪い人は死ぬ事が怖くなる。人間は心に思った事を口に出したり行動したりします。と言う事は心が土台です。だから思う心に気をつけなくてはなりません。
閻魔帳には、人の物を欲しがるだけで泥棒に記録されているそうです。人を憎い、死ねばよいと思っただけで殺人罪に記録されているそうです。誰かれなしに、夫婦以外の異性を好むと罪として記録されているそうです。

そのようなことになっているので、何度も申し上げますが、心の動きに気をつけなければなりません。その心の動きは現世においても不幸の種になります。
この世と同じで良い人は咎められないが良心的でない人、悪い人は裁きを受けて天の監獄に入れられ地獄をさまよい続けるといわれております。人間の魂(命)は、神から分派して神に帰ることになっているそうです。良心的でない人生を送った人は、神に帰る事ができないので、さまようのです。
目に見える肉体の世界は、土から出てきて土に帰るといわれております。
全ての生物は土から出てきます。即ち、大地には草木が繁茂して動物達はその草木を食べております。肉食動物は、草食動物を食べ循環を繰り返し、生態系の頂点に立つ人間は植物を食べ、肉を食べ生かされております。そのように植物も動物も人間も全て土の変化したものです。ですから、全て終われば土に帰るのです。

話は元に戻します。
誰もが持っている悪癖を直すため生まれてきたそうです。その悪癖のある人に「悪癖を直しなさい」と癌は言っているような感じがします。それに気付き、その心を直していくと癌も治ってゆく、そのような場面を酵素風呂ではよく見ます。
人間の心と云うものは面白いもので「貴方の後ろに埃がついていますよ」と、注意を受けた人はそれを見つけて埃を取ると同時に注意をしてくれた人によく教えてくださったと感謝する。
それが心の問題となるとそのようにはいかないのです。
「貴方のその悪癖を直されたら素晴らしい人になりますよ」と、注意を受けたら服の汚れの時と違って腹を立てて怒るのです。まったく同じことなのに。
目に見える世界と見えない世界では全く逆になるのです。おかしいことです。その時こそ素直に感謝して直すと困らない世界、明るい世界に出て行くのです。
映画でいうところの目の前にあるスクリーンをいかに直そうと思ってもダメですが、目にみえない後ろにあるフイルム(悪癖)を直すと目にみえるスクリーンが治るのと同じ理屈です。目に見えない世界に全ての原因があります。
普段から持つ悪癖を共々に直していきたいと思います。


糠に釘じじいの寝言ではありません。
2017.8.28 竹内忠司
2017年08月28日 16:08ぬかに釘じじいの寝言
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